2004年8月22日 LIVE 於 新宿Club DOCTOR

初ライブ〜ライブの舞台裏


 そもそもウスバカゲロウというユニットは「自分の力も考えず『ライブに出たい!』と、
身の程知らずなことを言ってしまったやんべが、参加が決まった後で自分の実力不足に怖じ気付き、
パンチに助けを求めた」ことが結成の発端。
ウスバカゲロウとしての最初の活動は当然「ライブ」ということになるわけです。
ところで、やんべの依頼に対するパンチの反応は、「『面白そうだから』という論拠だけで、
後先考えず話に乗ってみた天性のお調子者」だったわけですが…。

 さて、POPLABのライブの話は今年の春先から出ていたのですが、
実際我々がまともに打ち合わせらしきモノを始めたのは6月のこと。
確か最初に打ち合わせた内容が「参加名義は二人のユニットにするか、
やんべ個人参加にサポートの形でパンチが参加するか」でした。
結果的に新ユニット結成、この時勢いで決まった名前が「ウスバカゲロウ」だったわけです。

 で、名前は決まったがまだ中身がない(汗)。
ひとまずやりたい曲の曲順リストを提示してみたのですが、すべてやんべのオリジナル。
パンチはそのうちの半分しか知らなかったわけです。
当然やんべはパンチから「デモとコード譜をよこせ!」という矢のような催促を
受けることになるわけです。

 こうやって聞いているとやんべ一人がやたらと呑気だったようにも見えるのですが、実はパンチも負けていません。
今回のライブは「いくらか打ち込みのバッキングトラックに頼りながら生ギター二本で」ということは決まっていました。
パンチ曰く、「ライン出し出来るギターないとつらいなあ…。エレアコ一本手にいれるかなあ…。
で、練習は本番で使うギターでやんないとダメだしなあ…」と、7月になっても言っているわけです。
それで楽器屋を見に行くのですが、エレキ見てたりマーチンのアコギ見てたり…(汗)。
7月も後半、パンチからやんべに「すごいの見つけたから来い」と電話がきました。
やんべがお茶の水へ行くと、アダマスが相当安く出ている。
それまで候補にしていたギターと弾き比べると、売値で同価格帯のものとは完全にレベルが違う。
結局、パンチはいたく気に入って、このギターをゲットしました。

 さて、当日の曲目リストは、

1.一人で街を歩くとき
2.pierrot
3.She’s gone
4.絆創膏
5.幸せの方程式

の五曲。MC込みで30分。

 こうしてライブ一カ月前になって、やっと楽器と楽曲が揃ったわけです。
まあ、いやはや何とも…。
しかしパンチもやんべも8月は仕事が忙しいので、なかなか練習時間が取れません。
最初にスタジオに入ったのが8/8、二回目が8/15でした。
翌週は本番ですからまともに練習したのは、この二回ということになります。
一回目のスタジオの時にアレンジやフレーズを詰めながら練習して問題点を抽出、
それを各自翌週までに修正して二回目のスタジオで完成させるという流れで進めました。
二回目の段階では概ね完成したのですが、大きな問題が二つ残りました。
一つはパンチのコーラスの問題。
「幸せの方程式」でのコーラス、最初の音が取りにくく、一度はずすとなかなか修正が効かない。
解決策は「当日まで練習して、本番で歌ってみてダメだと思ったら歌うのをやめる」ということ。
もう一つは「やんべのハーモニカ」です。
こちらはもう少し練習しないと人前には出せないと判断。
結局予定二曲のうち「絆創膏」でのみ吹くことにしました。

 ちなみに本番。
パンチのコーラスは練習を含めて初めて成功、見事に歌いきりました。
やんべのハーモニカは「吹き忘れる」という、超特大ウルトラCで逃げ切りました。
どちらも聴いている側からいえば「失敗」には聞こえなかったものと思われます。
しかし、「出来ないことを練習して身に付けようとするタイプ」と、
「そこから何とか逃げ切ってごまかそうとするタイプ」みたいなコントラストが痛いですね(笑)。

 さて当日、久々のライブのパンチ、初めてまともなライブのやんべ、いずれも緊張気味です。
トップバッターのフライトレックの演奏が始まります。
ワサワサと準備をしたり、客席をうろうろしたり、ロビーに出たり…。
そうこうするうちにフライトレックの演奏も後半にさしかかり、二人とも楽屋に集合。
二人とも緊張はピークに来ています。
しかしその緊張感も徐々に単なる「焦り」から「どうにでもなれ!」を経て
「やったろうじゃないか!」みたいなところに高まっていってます。

 フライトレックの演奏が終わりました。
「さあ、行くか!」我々颯爽とステージに上がり、機材セッティングを始めます。

そして・・・


「皆さん、こんばんは〜!」






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